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2010年7月の27件の記事

2010年7月 4日 (日)

まだ続いている風邪地獄

5回目の風邪のピークが我が家を襲っています。1ヶ月以上、家族の誰かが風邪をひいている状態が続いています。

先週の木曜日にきょーちゃんが40度以上の高熱を出し、金曜日に幼稚園を休んで病院に行き、きょーちゃんは元気になったものの、だいくんが今日になって38度オーバー…。

私はこの2週間ほど咳の症状だけが治まらずに苦しんでいたのですが、昨日から体の節々が痛み始め、妻にも同様の症状が…。

体調が悪い状態が続くと、本当に気分が滅入りますよね。

それにしても、どうしたものか。

私はエアコンや扇風機の風が嫌いなのですが、エアコンや扇風機をつけないと子どものあせもが悪化するということで、エアコンの運転時間も、設定温度も、妻がかなり長く低く設定しているんです。

たしかに、私にとってちょうどいい室温の感じだと、きょーちゃんもだいくんも汗だくになってしまいます。子どもの方が暑がりなんですかね。

きょーちゃんはあせもが出来やすく、だいくんはアトピー持ちなのでますます大変で、妻の主張ももっともなのですが、ここまで風邪が長引くのはエアコンや扇風機の運用に問題がある気もしています。

エアコン設定の好みの問題は、家族における重要で根深い問題ですね。

しばらく寝室を別にするしかないのかなぁ…。

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2010年7月 5日 (月)

エアコンについて話し合って良かった

昨日の記事を書いていて、そう言えばエアコン問題について妻ときちんと話し合っていないなぁと思って、思い切ってきり出してみました。

すると、妻も思っていた以上に寒いと感じていたようで、エアコンの運転時間を短くする方向でしばらく試してみることになりました。

とりあえず今日は夕飯の時間帯は窓を開けてエアコンオフ。子ども達が汗をかいても、すぐにお風呂なので大丈夫です。今日のところはイイ感じでした。だいくんは相変わらず38度オーバーですが、私はおかげで体調が回復してきました。

長いこと夫婦をやっていると、たかがエアコンの問題でも、衝突を面倒くさがってきちんとした話し合いを避けてしまうんですよね。ブログで文字にしてみて初めて、これじゃあいけないなぁと思ったのでした。

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2010年7月 6日 (火)

思わぬ形で同音異義語を学習

Towel
風呂上がりのきょーちゃんをタオルで拭いていたところ、きょーちゃんが

「ハナ!ハナ!」

と言い出しました。

相変わらず風邪を引きずっている東家です。私はきょーちゃんの鼻水を拭こうと、きょーちゃんの顔をタオルでゴシゴシ。ところが、きょーちゃんは、

「違うよ!ハナのタオルだよ!」

と言います。

そこで気付きました。きょーちゃんはタオルの柄がお花のように見えると言いたかったのでした。

これは良い機会だと思いつき、

「芽が出て膨らんで咲くハナと、鼻水のハナは同じ発音だから、お父さん間違えちゃったよ。おもしろいね。」

と同音異義語のおもしろさを教えたのでした。すると、きょーちゃんの頭の中で何かがつながったようで、

「いっぱいハナあるね!ハナビラ、ハナクソ、ハナビ、ハナミ!」

特にハナクソと言うときは嬉しそうなきょーちゃん。子どもは汚いものが大好きです。その分だけ、同音異義語のおもしろみがきょーちゃんの心に強烈に響きます。

思わぬ形で同音異義語の基本を教えることができました。難しい概念は、生活の中の出来事で教えるのが一番です。

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2010年7月 7日 (水)

七夕の願い事

七夕の願い事を書いた短冊が幼稚園に飾ってありました。先生の代筆です。きょーちゃんの願い事もありました。

「キュアピーチになりたい」

現在放送中のハートキャッチプリキュアではなく、一つ前のシリーズであるフレッシュプリキュアのキャラクターです。

王道から微妙に外してくるあたり、きょーちゃんの素直じゃない性格が表れた願い事でした。

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2010年7月 8日 (木)

水鉄砲で空気と浮力を教える

水鉄砲で空気と浮力を教える
ガチャガチャで買ったアンパンマンの水鉄砲を見ていて、あることを思いつきました。

ゴムマリのような素材で出来た水鉄砲で、アンパンマンの手のところから水を吸い込み、ぎゅっと圧力を加えると水が飛び出します。

この水鉄砲を手に、きょーちゃんとお風呂に入って、お父さんのマジックショーの開幕です。

「きょーちゃん、このアンパンマンの水鉄砲をお風呂の底に沈めて手を離すから見ていてね。ほら、浮いてくるでしょ!?」

「うん!」

「ここで、お父さんが魔法をかけます。」

と言って、きょーちゃんから見えないように、水鉄砲の中の空気を押し出して、お湯だけで満たします。

「さっきと同じように、お風呂の底に沈めて手を離します。あれぇ?浮かないね!?」

「うん!」

「不思議だねぇ?」

「うん!なんで?」

ここで、水鉄砲の中のお湯をきょーちゃんと一緒に全部発射してしまいます。

「きょーちゃん、お湯が出なくなったね。」

「うん!お湯、なくなったね。」

「じゃあ、水鉄砲の中には、今、何が入っているか分かる?」

「…分からない。」

「空気が入っているんだよ。」

水鉄砲に圧力を加えて、風を吹き出します。風をきょーちゃんの顔に当てながら、

「きょーちゃん、風が分かる?」

「うん!」

「これが空気だよ。」

今度はお湯の中に水鉄砲を浸けた状態で空気を出して、

「ほら!空気が出てきたのが見えるね!」

「シャボン玉みたいだね。」

「空気が水鉄砲の中に入っていたの分かった?」

「うん!」

「空気はとっても軽いから浮くんだよ。」

「うん!」

「今度は、泡が出なくなるまで、お風呂の中で空気を全部出して、これで手を離したら、ほら、沈んだでしょ?」

「うん!」

ということで、かなり難しい概念ですが、空気と浮力について感覚的に理解出来たと思います。

難しいことほど、生活の中で、感覚に訴える形で、楽しく教えるのがポイントです。

難しい概念を理解することは、今の段階ではそれほど大切ではありません。生活の中に科学を見いだすセンスを身につけることの方が大切です。

物理も化学も生物も、生活と無関係なものだと思って学ぶと本当につまらないです。そこに関係性を見いだすセンスさえあれば、勉強が楽しくなるのはもちろん、生活の中で胡散臭いニセ科学につけ込まれる隙も無くすことが出来るのです。

このセンスが無いと、科学というものがブラックボックスに見えてしまうんですよね。だから、科学というものを、過大に評価したり、過小に評価したりしてしまうようになってしまいます。

大学の先生になる程度にお勉強は得意なのに、このセンスが無くて、ニセ科学にずっぽりはまる人も多いので、かなり重要なセンスだと個人的には思っています。

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2010年7月 9日 (金)

勝手にひらがなを覚え始めた

勝手にひらがなを覚え始めた
最近、きょーちゃんが勝手にひらがなを覚え始めました。特に教えたりしていないのですが、いつの間にかどんどん読めるようになってきているのです。

おそらく、こどもちゃれんじのひらがなはっけんマシーンで一人で遊んでいるうちに覚えたのだと思われます。特に強制して何かをやらせたり、誘導したりしなかったのが、逆に良かったのだと思います。

半年ほど前にも、きょーちゃんにひらがなブームが来ました。自分の名前を自分で書きたいというのがきっかけでした。このまま一気に覚えてしまうのかなと思ったのですが、その時は「きようこ」と読み書きできるようになっておしまいでした。

その第一次ブームの時にくもんのひらがなカードを買ったのですが、2回ほど遊んだだけで、ずっと放置されていました。

それをまた最近、急に持ち出してきて、『み』『す』『き』のカードを並べてみせて、

「『み』、点々をつけて『ず』、これも点々をつけて『ぎ』だよ。」

などと言って得意な顔をするようになったのです。

濁点については、こどもちゃれんじのひらがなはっけんマシーンでは学びにくい印象があるのに、なぜか覚えています。

どの程度の深さで理解しているのかが気になって、『し』のカードと『ち』のカードを並べて、

「『し』に点々をつけて『じ』、『ち』に点々をつけて『ぢ』で、発音は同じなんだよ。」

と教えてみました。すると、横で見ていた妻が、

「そんな難しいこと、まだ分かるわけ無いじゃない。」

と言います。それもそうだと思い、

「きょーちゃん、そんな急いでお勉強しなくていいよ。のんびりやればいいんだよ。」

と言ったところ、きょーちゃんは『つ』と『す』のカードを並べてみせて、

「これもそうだよ。お勉強するよ!きょーちゃんも、ひらがな書きたいんだもん!」

と言うではありませんか。『ち』と『し』のカードを私が並べたのに応じて、『つ』と『す』を並べてみせるセンスは、我が子ながらなかなかのものだと感心したのでした。

妻によると、きょーちゃんの第二次ひらがなブームは、プリキュアのお手紙セットがガチャガチャで当たったのがきっかけだったそうです。おばあちゃんに自分でお手紙を書きたくてたまらないらしいのです。

「知らないと不便だから学びたい!」という思いが勉強の効率を上げるコツであることは、大人にも子どもにも当てはまります。

それにしても、こんなに急いでひらがなを覚えなくてもいいのにというのは、けっこう本気で思っているのですが、せっかく覚えたがっているのを手伝わないのもひどいので、本人が求める限りは教えてやろうと思います。

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2010年7月11日 (日)

お絵かきで色に意味を持たせ始めた

お絵かきで色に意味を持たせ始めた
幼稚園で先生が木の絵を描いているのを見たから、自分もまねして描いてみたいときょーちゃん。

クレヨンと画用紙を渡したところ、茶色で幹を描いて、緑で葉を表現していました。

色にはっきりと意味を持たせて塗り分けるお絵かきは初めてだと思います。ぬりえをやっても、これまでは単色で塗りつぶしておしまいでした。

テレビのアンパンマンクラブで紹介される同年代のお友達の絵を見ていると、しっかりと色を使い分けて描かれているので、きょーちゃんがいつ頃できるようになるのか、興味深く観察していたところでした。

3歳児の成長スピードの凄まじさには本当に驚かされます。新しい概念が、ある日突然、子どもの中で実を結ぶ様子は、観察していて非常に興味深いです。

そう言えば、幼稚園の保護者面談があって、妻が先生に相談したところ、きょーちゃんが父兄参観日に無表情で固まってしまうのは、「自分が家の外で見せている顔を親に見られるのが恥ずかしい」という感覚を、他人より早く獲得してしまったせいではないかという話になったそうです。

たしかに、そういうことを猛烈に恥ずかしがるお年頃というのが、ふつうはもっと大きくなってからあるものです。

概念や感覚を子どもが新たに獲得する様子というのは、人類の文化の進化の歴史の超早回し版です。人間という存在への理解がどんどん深まっていくので、観察が楽しくって仕方ありません。

幸せだなぁ。

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2010年7月12日 (月)

デコ電作りでモノ作りの背中を見せる

妻の携帯電話をデコりました。N-01Bのサマンサタバサモデルがベース。

携帯のデコはこれが3台目で、他にもコンパクトやミラーも手がけたのですが、今回は頑張る方向性が微妙にずれたかもしれません。

Keitai1

Keitai2

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Keitai6

Keitai7

色々なサイズのラインストーンを使って、みっちりと隙間無く敷き詰めることを優先するというのが、今回の方向性。

しかし、隙間無く敷き詰めることよりも、ストーンのサイズをある程度統一して、輪郭の線をきっちり揃えることの方が、きれいに見えるためには重要だということに、作り終わってみて気付きました。

ただし、イルミネーションが光る部分にクリアーストーンを使って、光を透過させるという作戦はうまくいきました。

徹夜でこれをつくりあげる私の様子を、きょーちゃんが興味深そうに見ていました。きょーちゃんが朝起きたら、私が目をこすりながらデコっているわけです。

近くで見ようと、デコっている私のひざの上にきょーちゃんが乗ってきて少し邪魔でしたが、勝手に色々触らない約束で、そのままの姿勢で製作続行。以前に約束を破ってラインストーンのケースをぶちまけてしまった苦い経験のおかげもあってか、おとなしく見ていてくれました。

モノ作りを大人が本気で楽しむ背中を見せることが、モノ作りの楽しさを子どもに伝えるために一番大切なことなんですよね♪

こういう細かいモノ作りが大好きな私は心から楽しめましたし、キラキラ小物が大好きな妻もハッピーだし、きょーちゃんの情操教育にもなるし、一石三鳥のデコ電作りでした。

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2010年7月13日 (火)

虹色教室通信の奈緒美さんがおもしろい

虹色教室通信の奈緒美さんから、昨日の記事にコメントを頂きました。

今度、ブログで東大パパさんの記事をいくつか紹介させていただいてもいいでしょうか?
キョーちゃんの学習体験、いつもちょうどこの発達段階にピッタシな感じですよね。うちの子たちの幼い頃を思い出します。

記事の紹介はいくらでもどうぞ♪と言うのも、大阪で塾を開いている奈緒美さんの文章は、以前にコメントをいただいたことをきっかけに色々と読ませていただいて、共感することが多かったのです。

奈緒美さんのホームページのエッセイを読んで、私が「人間の業」と表現していることに非常に近いことを「コンプレックス」と表現していらっしゃって、何はともあれその業やコンプレックスが誰にでも、自分にもあると認めてしまうことが非常に大事だという考え方が同じだと感じました。

奈緒美さんの文章には、育児に関するとても興味深い考え方がつづられていてオススメです。

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2010年7月14日 (水)

笑ってしまった替え歌

Teruteru

きょーちゃんが「雨降りクマの子」の替え歌を歌っていました。

♪おやまに あーめが ふーりませんー
あとから あとから ふーりませんー
ちょろ ちょろ おがわが できませんー

あまりにもシンプルな替え歌に、不覚にも笑ってしまいました。

今日は大雨で全国的に大変なことになっています。雨、止むといいですね。

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2010年7月15日 (木)

お面遊びをおうちで簡単に

Omen1

きょーちゃんがお面を作って欲しいというので、画用紙と輪ゴムでささっと作ってやりました。

おさるさんのお面が欲しいというので、キモかわいいをねらってみたものの、ちょっとキモ過ぎました。きょーちゃんは気に入ってくれたので良しとしましょう。おさるさんの顔のピンク色はきょーちゃんが塗りました。

お面を気に入ったきょーちゃんが、大人の分も作って欲しい、うさぎさんを作って欲しいというので、今度はおまぬけな感じをねらってみました。

Omen2

色塗りと、ベルトに使う画用紙を細長く切る作業はきょーちゃんが担当。色の使い分けもしっかり出来ています。鼻の色で随分悩んでいましたが、そういえばうさぎの鼻って何色でしたっけ?デザイン的には、オレンジは悪くない落としどころだと思います。

そして、お面とベルト、輪ゴムを固定するためにホチキスを使いました。きょーちゃんにとっては初めてのホチキスで、なかなか興奮していました。

子どもと一緒に二つ作っても、作業時間はせいぜい1時間といったところです。画用紙さえ常備してあれば、お面遊びはおうちで簡単に出来て、子どもの満足度も高いのでオススメですよ。

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2010年7月16日 (金)

うんこの幸せなにおい

息子の食べるものが
大人とほとんど変わらなくなってきた今日この頃。

朝ご飯の後しばらく遊ばせておくと
その時が突然やってきます。
立ったまま動きがぴたりと止まって
しばらくじっとしていたかと思うと
そわそわし始めるのです。

おむつを開けると元気なうんこ。
いっぱい食べるので
いっぱい出していました。
今日はいつもよりもっとくさい気がしました。

「うんこ♪くさい♪うんこ♪くさい♪」と
即興で歌いながらおむつを替えていると
自分もうんこしたくなってきました。

出勤時間も迫っているので大急ぎで便器に座ると
パパも元気なうんこです。

そのうんこのにおいが
さっきの息子のうんこそっくりだったのです!

同じものを食べていることの
これほど分かりやすい証拠があるでしょうか!

うんこのにおいで感動してしまいました。
これが家族なんですね!

ママのうんこもきっとおんなじにおいです。

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2010年7月17日 (土)

016セレブな紅茶の飲み方

「000東大パパ」から続けて読んだ方が楽しめます)

私が小学6年生の頃、サンドイッチと紅茶がメニューの調理実習でのことでした。

当時の私にとって、紅茶と言えばリプトンのお徳用100個入りティーバッグでした。

なので、班の仲間で買い出しに行った食品売り場で、ちょっとオシャレな感じの大坪さんが、

「私、紅茶はオレンジペコが好きなんだ。予算に余裕があるから、ちょっと高いけどオレンジペコにしようよ。」

と言い出して初めて、紅茶に色々な種類があることを知ったのでした。

知らなかったのなら、学べばいいのです。購入したオレンジペコの箱の説明書きを隅から隅まで読み、それですっかり理解した気になりました。活字にきちんと目を通しさえすれば、神童とうたわれる自分に分からないものは無いと信じていたのです。

いよいよ授業で紅茶を淹れることになり、ティーカップを準備して、オレンジペコの箱からティーバッグを取り出しました。

ここで改めて箱の説明書きを読んだところ、一つ分からないことがありました。説明に、

「お湯を注ぎ、1分ほど蒸らします。」

と書いてあるのです。

蒸らす?どうやって?

それまでの私の人生では、紅茶は湯呑みにティーバッグを入れてお湯を注いだら出来上がるものであって、蒸らすなんて工程は考えたこともなかったのです。

ティーポットなんて洒落たものが存在することすら知りませんでした。

そこで私は少し考えると、お湯を注ぎ、ティーカップの下に敷いてあったカップソーサーをフタのようにかぶせたのでした。

「これで蒸らせる!俺!天才!」

と心の中でガッツポーズです。

すると、

カチャ!カチャ!カチャ!カチャ!……

クラス全員がカップソーサーを次々とかぶせていく様子は、ドミノ倒しのようで壮観でした。

神童の東君がやることに間違いは無いはずだと、クラス全員が私のマネをしたのです。

その光景にびっくりした先生から「勝手なことをしないで」と叱られ、そうこうしているうちに蒸らし時間はうやむやになり、クラス全員が妙に苦い紅茶を飲む羽目になったのでした。

この時につくづく思ったのは、何事も自信満々でやれば、意外とみんな釣られて信じてしまうということです。「根拠無き自信」という私の特殊能力には、こういう使い方もあったのです。

逆に考えると、他人に釣られまくりな人生に陥らないためには、自分をある程度無邪気に肯定する力を持つ必要があります。相手の根拠無き自信を見抜くことは、自分にある程度自信が無いと出来ないからです。

人間の業の危うさと利用の仕方を学んだ東少年でした。

ちなみに、後に調べたところ、カップソーサーでフタをして蒸らす手法は間違いではないらしいです。しかし、当時の家庭科の教科書にそんな気の利いたことは書いてありませんし、田舎のおばあちゃん先生が知っているわけが無いのでした。

「017セコくてうまい詐欺」につづく)

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2010年7月18日 (日)

あなたの子に無限の可能性なんて無い

あなたの子に無限の可能性なんて無い

わたしの子にも無限の可能性なんて無い

あなたに苦手があるように
あなたの子にも苦手がある

わたしに苦手があるように
わたしの子にも苦手がある

あなたはそれほど勉強が出来なかったけれど
あなたの子は出来るかもしれない

わたしは特別に勉強が出来たけれど
わたしの子は出来ないかもしれない

その子なりの可能性の中で その子なりに頑張るしかない
親に出来ることは それを邪魔しないことだけだ

それで我が子が幸せになれるか? それは余計なお世話だ
幸せは なるものではなく 感じるものだから

特別な能力があろうと無かろうと
それは幸せの問題とは無関係だと
薄々気付いているなら 潔く認めてしまおう

遊び疲れて眠る我が子を 夫婦で穏やかに見守るひととき
それ以上の幸せなんて どこにも無いのだと認めてしまおう

もっと強烈な幸せが どこかにあるというのなら
そんな下らない冒険に 我が子を巻き込むのは止めた方がいい

あなたが幸せを感じているなら
あなたの子も幸せになるだろう

わたしは幸せを感じているから
わたしの子は幸せになる

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2010年7月19日 (月)

クレヨン遊びの変化球

クレヨン遊びの変化球
クレヨンを使った遊びの変化球です。画用紙をクレヨンで一面塗りつぶすところから始まります。

塗りつぶした画用紙に手のひらをこすりつけて、その手のひらを真っ白な画用紙の上に押しつけて、手形をとる遊びです。

当然、手のひらがクレヨンでべっとり汚れてしまうので、親として最初は抵抗がありますが、だからこそ子どもは喜びます。ちゃんと洗えばクレヨンはすぐに落ちますし。

妻がきょーちゃんとこの遊びをしているのを見て、斬新な発想だなぁと感心したところ、きょーちゃんが幼稚園で教えてもらってきたとのことでした。

アイデアマンとしては、教えてもらった遊びだけで満足するのが悔しくて、カーボンコピー遊びにも使えることを思いつきました。

クレヨンで塗りつぶした画用紙を裏返して、白い画用紙に重ねた上からボールペンで書くと、カーボンコピー用紙のように転写されるという遊びです。

ただ、困ったことが……。

最近はだいくんもクレヨン遊びに参加するようになって、クレヨンで点を打てるようになったのですが、ちょっと目を離すとクレヨンを食べちゃっているんですよね……。

けっこうおいしそうにもぐもぐやっていて、口から取り除くのに苦労します。クレヨンをもっと塩っ辛くしたりできないんですかね。

ちなみに、うちで使っているクレヨンは、アンパンマン 水で落とせるクレヨン(16色)です。

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2010年7月20日 (火)

レゴの基礎板は小さい子にこそオススメ

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買ってすぐに、レゴの魅力が倍増することを実感した基礎板。1歳4ヶ月のだいくんまでが、基礎板のおかげで楽しそうにLEGO duploで遊ぶ姿を見て、小さい子だからこそ基礎板があった方がいいと思いました。

考えてみると、ほとんどの世界における天地創造神話で、まずは空と大地とを定義するわけで、レゴ世界における大地とも言うべき基礎板があった方が、子どもが遊びやすいのも当然です。天地創造の順番は、人間が世界を認識する順番なのですから。

基礎板があることによって、平面という分かりやすい二次元世界を足がかりにして、少しずつ高さを加えた三次元世界に進出していくことができるのです。

基礎板無しに何かを作れということは、三次元空間といきなり真正面から取り組めと言っているようなものです。ハードル高すぎです。

ということで、レゴブロックデュプロを持っている1歳から3歳の子どもには、基礎板を猛烈にオススメします。それより大きくなると、自分自身の経験からすると、三次元空間との格闘こそがレゴの醍醐味だと分かるので、基礎板はそれほど重要でなくなるように思います。

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2010年7月21日 (水)

レゴで天地創造

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レゴブロックの基礎板が天地創造における大地である!という昨日の記事での自分の発想を気に入って、だったら海も作っちゃおうということになりました。

きょーちゃんは最近、塗り絵などで色に意味を持たせることが出来るようになってきました。だったら、ブロックの色にも意味を持たせられるのではないかというねらいもありました。

青いブロックを海に見立てるという意図は理解してくれました。赤いブロックで船をつくるという意図も理解してくれました。キリンさんが乗っている方は私がつくって、パンダさんが乗っている方はきょーちゃんがつくりました。

ただ、考えてみると、そもそもきょーちゃんは、海を見たことも船に乗ったこともありません。それゆえか、ノリが微妙でした。水の青さは、お風呂では体感できませんよね。

子どもはやっぱり、実際に体験したことを遊びの入り口にするのが一番ですね。

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2010年7月22日 (木)

ルンバくんとだいくんの戦い

20100621131748
欠かせない家族の一員となっている自動掃除ロボットのルンバくん。だいくんとルンバくんとの戦いが激化しています。

去年の秋にルンバくんを導入した当時、ルンバくんのことをきょーちゃんはとても怖がり、だいくんは興味津々でルンバくんに突進していっていました。

そんな状況が、最近になって大きく変わり、きょーちゃんはルンバくんをほとんど怖がらなくなり、一方でだいくんは動いているルンバくんをメチャメチャ怖がるようになったのです。だいくんは怖いという感覚を知らなかっただけで、この半年ほどで怖いという感覚を身につけてしまったのでしょう。

ルンバくんが動き出すと、だいくんは泣きながら妻の足元に駆け寄り、必死でだっこをせがむのです。

ところが、ルンバくんに興味津々なのは変わらないらしく、止まっているルンバくんには突撃していじりまわすのです。

特に、物置部屋で充電コードにつながれた状態のルンバくんは、何をしても動かないということをいつの間にか学習したらしく、踏んづけたりボタンを押したりやりたい放題です。

それにしても、子どもの頃からロボットが家に居るという環境は、子どもたちの感覚にどういう影響を与えるのでしょうか?だいくんやきょーちゃんのこれからが興味深いところです。

そして、子どものいる家庭に、rumbaはめちゃめちゃオススメです。詳しくは以前に書いたレビュー記事をどうぞ。

「子育て家族はロボット掃除機ルンバをぜひ!」

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2010年7月23日 (金)

初めての夏休み

きょーちゃんが夏休みに突入しました。初めての夏休みということでテンション上がりまくりです。夏休みは妻の実家に行って、おじいちゃんやおばあちゃんとのパラダイスな日々が待っているのです。

そして、きょーちゃんの連絡ノートには、初めての通信簿的なものが挟んでありました。

通信簿といっても、担任の先生による1学期の総括が書かれているだけです。

先生によると、入園当初はガチガチに固まっていたきょーちゃんは、少しずつ幼稚園で笑えるようになり、特に歌の時間は大きな声で歌いながら自作の踊りを披露してくれるのだそうです。

自作の踊り!?

父兄参観の時は、みんなで一緒に踊ることすら拒否しているのに、親が見ていないところでは、けっこうはじけているようです。一安心。

お友達については、自分から声をかけることはまだ出来ないものの、積極的に話しかけてくれるお友達のおかげで、あそびの輪に入れるようになってきたとのこと。

私も妻も人見知りで、友達作りはそれほど得意ではないので、まぁこんなもんでしょう。

妻と子ども達は、来週早々には妻の実家に向けて旅立って、夏休みの間はずーっと妻の実家で過ごす予定です。私はつかの間の単身赴任状態。寂しくなりますが、入園にともなう様々なイベントでいっぱいいっぱいになっていた妻が、長引く風邪もあってパンク寸前だったので、ちょうどいい充電期間となりそうです。

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2010年7月24日 (土)

017セコくてうまい詐欺

「000東大パパ」から続けて読んだ方が楽しめます)

中小企業の経営者や個人事業主の集まりに、ネットやら法律やら色々と詳しい先生という立場で参加した時のことでした。手先が器用なのを何とかビジネ スに結びつけたいというおばさんが、彼女が考案したというちょっとしたアイデア小物を手に話しかけてきたのです。

要約すると、そのアイデア小物がビジネスとして成功するかどうか率直な感想を聞かせてくれとのことでした。そのアイデアは、正直言ってアイデアと呼ぶのもはばかられるレベルでしたし、何より誰でも簡単にマネして同等品をつくることが出来るものでした。私はそのことを言葉を選びながら答えたのでした。

すると、彼女もその問題点は分かっていて、対策をしてあるというのです。なんでも、知り合いの息子さんで著作権関係の仕事をしている人に相談したところ、

「アイデアを模倣から守るために実用新案か特許を申請したいところだが、この程度のアイデアでは無理だ。だから、このアイデア小物の『説明文』につ いての『著作権』を登録しよう。私がその手続きを格安で代行してあげる。そうすれば間接的にあなたのアイデアは守られる。」

と言われたというのです。

そこまで聞いた時点で私には詐欺としか思えなかったものの、知り合いの息子さんに持ちかけられたのならばと、出来る限り好意的に解釈する方向性で相談にのったのでした。

「著作権というものは特許や実用新案と違って、登録のための手続きなどは特に必要ないはずです。何かの勘違いじゃないですか?」

「いや、間違いない。手数料を1万円ほど払ったところ、ちゃんと登録番号の書かれた立派な証書のようなものが送られてきた。文化庁にきちんと登録した会社だと言っていた。」

「うーん…。もしかしたら、著作権『登録』ではなくて、著作権『管理』のことなのかもしれませんね。
JASRACのように、著作権使用料の 徴収などを代行してくれる会社とかなんですかね?
その便宜上の管理番号が書かれた紙を送ってきただけとか?
文化庁が云々というのも、そういえばJASRACの寡占を防ぐために著作権管理団体を新しく届け出制にするとか言っていましたし。
ただ、あなたの説明文の著作権を管理したところで、あなたのアイデア小物を模倣から守ることにはほとんど何の効力もないので、どんなに好意的に解釈しても、限りなく詐欺に近いと言わざるを得ないですね…。」

「ああ、そうですか…。はぁ…。ありがとうございます…。」

彼女のアイデア小物がパクられる心配なんて、そもそもほとんど無いのだから、そのまま放っておくのも手かなとは思いましたが、何というかだましの手口が微妙に良くできていることに腹が立ってしまって、真実をそのまま口にしてしまったのでした。

帰って調べてみたところ、闇は思っていた以上に深いというかセコいというか…。

知的所有権協会という公益法人風の名前の株式会社が中心になってやらかしています。

知的所有権協会

そもそも著作権については、日本を始めほとんどの国は「無方式主義」を採用していて、著作物を創作した時点で自動的に著作権が発生するということになっているのです。登録なんてしなくても最初から著作権は発生しているのです。

知的所有権協会のセコいところは、著作権が「発生したことを一緒になって確認してあげる」ことを、「登録」と表現しているとちゃんと書いていて、完全なウソをついてしまうことを微妙に逃れているところです。ウソではないんです。ただ、何の役にも立たないというだけです。そして、著作権もちゃんと発生しているのです。何もしなくても自動的に発生するので当然ですが…。そして、登録料が非常に安いというか、だまし取られたところで何とも言いようのない微妙な額に設定してあるのが、これまたセコいというかうまいというか…。

更には、「著作権管理士」なる公的資格風の民間資格を自分たちで勝手にでっちあげて、それになるためのハウツー本まで出版しているという、絵に描いたようなサムライ商法まで合わせ技でやっているのです。

知的所有権協会のせいで自分たちの領域を荒らされまくっている日本弁理士会が、何とかとっちめてやろうと裁判などを起こしてきた歴史があるようで す。

日本弁理士会 「民間業者の『知的所有権(著作権)登録』の勧誘にご注意!

日本弁理士会の書き方を見ていると、この悪徳商法の被害者は、お金を払って意味のない登録をした人よりも、その意味のない登録をふりかざして「お前の会社の○○という製品は私のアイデアのパクリだ!著作権も登録してあるんだ!権利侵害だ!内容証明郵便を送りつけたから覚悟しろ!」みたいなことを言ってくる困ったさんにつきあわされる企業の方のようです。

いやはや何というか、色々と香ばしい人間の業を見せつけられる、セコい詐欺の現場に立ち会ってしまった話でした。

「018数学の天才小山くん」につづく)

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2010年7月25日 (日)

おもちゃの電池にeneloop

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我が家ではサンヨーの充電式ニッケル水素電池エネループを愛用しています。おもちゃなどで何かと電池を消費する子育て家族に、エネループはめちゃめちゃオススメです。

ただし、コストパフォーマンス的には、激安アルカリ乾電池を使うのが一番だと思います。でも、乾電池のゴミって分別が面倒だし、あからさまに資源を無駄遣いしている感じが嫌なんです。

エネループを使う時に注意すべきポイントは、ごく一部、エネループだと正常に動作しない機器があることです。普通の乾電池に比べて電圧が低いのです。

我が家の場合は、東急ハンズで買ったイタリア製の時計がダメだっただけでした。数字を書いた板がパタパタと一分ごとにめくれていくタイプの時計なのですが、しばらくするとあからさまに力不足な感じで、板がめくれなくなってしまうのです。でも、他の機器は全く問題なかったので、基本的に心配は要らないと思います。

また、単三型と単二型は、長さはほぼ同じで太さが違うだけなので、単三型にかぶせて単二型として使えるケースがあって、これも我が家では使っています。ベビーベッドに取り付けるメリーが単二なのです。

エネループはどう考えても資源の節約になるのでオススメです。

楽天でエネループを見てみる

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2010年7月26日 (月)

東大がOB組織を必死で作ろうとするけれど

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赤門学友会報-懐徳-第18号(2010年6月)が届きました。2005年1月から急に、このような「東大コミュニティのための会報誌」が送りつけられるようになったのです。あまりにも突然で、最初は新手の詐欺かと思ったほどでした。自分で意識して学友会に登録した覚えは無いのですが、サークルのOB名簿が献上されて、住所が自動的に登録される仕組みのようです。

まぁ、どちらにしろ読まずに捨てていました。しかし、2008年6月号から突然路線変更して、比較的見目麗しい東大OBが表紙を飾るようになったのです。その2008年6月号の表紙が、

うほっ!いい男!

って感じの、男から見てもイケメンだったので、妻の目の保養にと思って初めてビニール封筒を破ったのでした。

誰でもバックナンバーを見ることが出来ます。2008年6月号の表紙と裏表紙のイケメンは必見です。

赤門学友会会報

こうした会報を突然発行し始めたり、ホームカミングデーなるOBの学園祭みたいなものを開催したり、卒業生と大学の絆を深めるオンラインコミュニティを開設したりして、東大がOB組織を作ろうと必死になっています。独立行政法人化がきっかけのようです。

すべての東大卒業生のためのサイト「東大アラムナイ」

ただ、どうにもこうにも空回りしている感は否めません。団塊より上の世代の暇潰し需要では、それなりに盛り上がっているようですが、そんなコミュニティが我々の世代にとって魅力的なはずもなく…。

東大OBはびっくりするくらい仲間意識が希薄で、「ただひとつ」なる東大応援歌をまともに歌える人すらめったにいません。

東大OBは優秀になればなるほど、東大にこだわらなくなる傾向が顕著なので、仮にOB組織がそれなりの体裁を整えたところで、残念な人しか集まらないのが目に見えているんですよね。

ああ、慶應三田会のボーリング大会とかがうらやましい!

でも、東大OBばかりが集まったボーリング大会なんて、考えただけで気色悪い…。

なお、OB組織の最大の目的は、東京大学基金なるものに寄付を集めることです。30万円以上寄付すると、安田講堂に銘板を掲示してもらえるそうです。みんなけっこうケチなので、意外とお安くなっております。

東京大学基金

 

「東大」という言葉ほど、人間の業を刺激する言葉はめったにありません。人間の業って、プライドって、本当に面白いなぁと思います。この言葉が持つワケの分からない影響力が、きょーちゃんやだいくんに悪い方向で及ばないようにするにはどうしたら良いのか、私の育児の悩ましいテーマの一つです。

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2010年7月27日 (火)

「豊かさ」とは何かを四万十川天然うなぎで考えた

土用の丑の日ってことで、スーパーで買ってきたうなぎを食べました。そう言えば去年は四万十川の天然うなぎを食べました。あれは本当に「豊かな」体験でした。

去年の春頃、

「次の価値観のヒントは農村の中にあるのではないか」

という考えを深めることに夢中になっていました。

面倒くさいからと私たちは農村のしがらみを捨ててきましたが、ちょいとばかし捨てすぎたのではないかと思うのです。でも、捨ててきたものがたしかに面倒くさかったことは間違いないわけで、そのあたりのうまい落としどころがないものかと考えをめぐらせていたのです。

だったら農村に行ってみようということで、高知県四万十市の西土佐に行ってきたのでした。愛媛県との県境、四国山地の稜線がすぐ近くに見えます。空が近いです。

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ちょうどこの時、西土佐に移住して棚田で米を作りながらデザイナーをしているサコちゃんと意気投合して、遊びに来るように誘われていたのです。

そうしたら、サコちゃんの友達の川漁師が、ちょうど四万十川でとれた天然うなぎを持って遊びに来ると言うではありませんか!とりあえずは、その天然うなぎを見せてもらいに市場へ。

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高知に住んで5年目、仕事だけではなく色々なボランティア活動などで自分なりに高知に尽くし続けてきて、やっとたどりついた人脈、そしてうなぎです。

昼間は田んぼのお手伝いで、田んぼの畦とりなどをやらせてもらいました。

そして、いよいよ夜の宴会の時間です!

まずはうなぎの肝の塩炒め!うなぎの肝といえば肝吸いですが、100匹分近くストックしてあったうなぎの肝を贅沢に炒めて天日塩だけで味付けしていただきます!

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これがふわっふわ!やわらかいのなんの!うまみがギュッとつまっていて、おいしい!これをまともにお金出して買おうとしたらいくらになるのか気が遠くなります…。ビバ!お友達!

そしていよいようなぎを炭火で焼きます!天然うなぎの大きな特徴は、焼くとぐんぐん縮んでしまうことだそうです。

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あっという間にこんなに縮んでしまいました。

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長さが縮んだ分だけ厚さにいくのです。

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どんどん短く、厚くなっていきます。お店などで串を打つのは、この縮みを防止する意味合いもあるようです。たしかに、あんまり縮んでしまうと見栄えのボリューム感が無くなってしまいます。でも、今夜はひたすらおいしさを追究するので串なんていりません。

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表面にぷつぷつと脂がういてきます。

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こまめに裏返して、脂が落ちてしまうのを防いで、うまみを身に閉じこめてしまいます!

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焼きたてを、切り口を潰してしまわないように出刃包丁で一気に叩き切って、白焼きでわさびをたっぷりのせていただきます!写真は肝も一緒にはさんでみたバージョンですが、肝は別に食べた方がいいと思いました。

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口に含むと一瞬泥臭さが広がりますが、噛むとうまみたっぷりのあぶらが一気にあふれ出て口の中に広がります。限界まで短く厚くふくらんだ身は、うまみが凝縮されてふわふわです。一方で、炭火でこんがり焼き上がった皮がパリパリとした食感と、身とはまた違ったうまみを添えてくれて、そこをわさびがピリッとひきしめてくれて、うまい!

これはシアワセ!

いやはや、ビバ!お友達!

こちらが誠意を尽くして、気があって、仲良くなればここまでもてなしてくれるというこのスタイルこそが、農村の人間関係のあり方なのです。

でも、そんな人間関係の在り方はコストがかかりすぎるから、切り捨てていこうというのが、この50年ほどの時代の流れでした。

そんな時代の流れを全否定するのは愚かですが、必要以上に切り捨ててしまった部分もありました。だったら、どれくらい、どんな形で、振れすぎた針を戻したらいいのでしょうか。もちろん、ただ戻すだけではダメでしょうし…。

そんな「ムラ」の人間関係の問題は、突き詰めていくと、「家」の問題につながっていきます。私たちと老いた両親との関係、きょーちゃんやだいくんと私たちとの関係の割り切り方の問題です。「家」という、支えであり、足かせでもあるもののとらえ方の問題です。

それは、まさに「人間の業」の問題です。

あれから一年経ち、考えはずいぶん深めることが出来ましたが、答えは出ていません。

子どもが日々成長する中で、子どもとの関係性もめまぐるしく変わっていきます。一方で両親は老いていき、両親との関係性も変わっていきます。そんな状況で答えを見定めるのは、とても難しいことです。人間誰もが同じ状況なわけですが…。

 

そんな難しいことを考えるときは、うまいものを食べながら明るく考えるに限ります。

天然うなぎを食べながら熱く語り明かした友人、サコちゃんの本が、とってもおもしろいのでオススメです。

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2010年7月28日 (水)

水彩クレヨンで筆デビュー

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水を含んだ筆でなぞると水彩絵の具のようになるクレヨンで、きょーちゃんが筆デビューしました。猛烈に楽しいらしく、2時間近く集中して遊ぶ姿にびっくり。3歳児の集中力ってこんなに続くものなんですね。

きょーちゃんが1歳の誕生日の時に私の父がプレゼントしてくれたのが、細長くってどう見ても赤ちゃん用じゃないクレヨンとスケッチブックでした。あからさまに1歳児には早すぎるプレゼントを見た妻から、

「何でも先走り過ぎるのがあなたそっくりね。」

なんて言われて封印されていたのですが、その封印がついに解かれたのです。

きょーちゃんがこれまで使っていたアンパンマンのクレヨンと比べると、父がくれたクレヨンは発色が段違いに鮮やかで、「強いクレヨン」と呼ばれるようになりました。

強いクレヨンで普通にお絵かきするだけでも、きょーちゃんは十分に楽しんでいました。

そんなところにタイミング良く、私がデコ電の下地処理のために筆を物置きから引っ張り出したのです。ついでに、ペットボトルを切って筆洗いバケツを作りました。

クレヨンを何色か塗り重ねた上から筆でなぞって、水彩絵の具のように色を混ぜる遊びを教えたところ、きょーちゃんがずっぽりハマったのでした。

厚手の画用紙を惜しげもなく次々と塗りつぶしていくきょーちゃんの姿に、貧乏性な私はちょっともったいない気も……。私が子どもの頃は、真っ白な画用紙を1枚与えられると猛烈にテンションが上がって、それはそれは大事に使ったものです。

こういうモチベーションって、制限された方が燃え上がるものなので、父からもらったスケッチブックを使いきった後は、画用紙を制限した枚数与える形にしようと思います。

そして、子どもの筆デビューの画材として、このクレヨンはオススメですよ♪

ただ、アマゾンで値段を見てびっくりしました。このCARAN d'ACHEのNEOCOLOR 2というクレヨン、メチャメチャ高いんですね。バカ旦那(父の愛称)、意外とはりこんでいたんだなぁ…。入園プレゼントなんかに良いかもしれません。

【楽天市場】カランダッシュ水溶性クレヨン15色セットネオカラー2

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2010年7月29日 (木)

紙芝居のお話はテキトーで大丈夫

きょーちゃんは幼稚園で読んでもらう紙芝居が大好きらしく、紙芝居を読んでとせがんできます。

しかし、我が家に紙芝居はありません。そこで、私が紙芝居を作ってやることにしました。

ただ、全部作ってやるのではつまらないので、私が基本的なストーリーを考えて絵を描いて、裏に書くコメントは、きょーちゃんに考えさせることに。

きょーちゃんが自分で書くことはまだ出来ないので、きょーちゃんが言ったとおりに私が書いてやるわけですが、それでもきょーちゃんが書き言葉を意識してしゃべるのがおもしろかったです。絵本や紙芝居を読んでもらうことで、書き言葉と話し言葉が別物だと理解しているんですね。

そして、きょーちゃんが付けるコメントが、大人にはマネできない、切れ味鋭い独特のセンスで非常に興味深いのです。子どもの絵を大人がマネできないのと同じように、このセンスはまねできません。

ちなみに、きょーちゃんがイマイチ思いつかなくて私がコメントをつけた絵が1枚だけあるのですが、他のコメントに比べて明らかに切れ味が鈍いです。

さて、どのコメントか分かるでしょうか?

 

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1 だいくんが せんたくきに はいりませんように

Kami2
2 だめですよ

Kami3
3 おかあさん せんたくきに だいくんが はいってるよ

Kami4
4 だいくんのうえから せんたくものを いれてしまいました

Kami5
5 しんでるところ

Kami6
6 びっくりした

 

さて、私がコメントを付けた絵が何枚目か分かったでしょうか?

 

「4 だいくんのうえから せんたくものを いれてしまいました」だけが私が付けたコメントです。

いやはや、きょーちゃんのコメント面白すぎです。

特に「5 しんでるところ」が秀逸です。

子どもの感性を刺激する童話と言えば身近で残酷なお話だろうということで、私は自分の理性のリミッターをふっとばしてお話を考えて絵を描きました。死に近いイメージで描いたのは間違いないのですが、私は一言も「死」というキーワードは口にしていません。

むしろ、コメントを付けるときになって、さすがにこれは不謹慎すぎたから、ケガか何かでお茶を濁した方がいいかなと思っていたのです。

そこをずばり「しんでるところ」とコメントしたのにはびっくりしました。

あと、6の「びっくりした」の絵は、だいくんとママの目を、漫画のお約束で××にしていたところ、

「こんな目は無いよ!おかしいから描き直して!」

ときょーちゃんが強く主張したので、仕方なく塗りつぶして●●としたのでした。

そういえば、私たちはいつから××を弱ったときやびっくりしたときの目の記号として認識するようになったのでしょうか?

きょーちゃんを注意深く観察して、××の意味を理解するようになる瞬間を見極める楽しみができました。

そして、一番びっくりしたのが、ひらがなで書いたコメントを、きょーちゃんが読むことは期待していなかったのに、全部読めたことでした。とてもたどたどしかったので、コメントを覚えているわけではないようです。

幼稚園の先生と同じように、自分が紙芝居を読んで聞かせることが出来て、きょーちゃんはとても満足そうでした。この喜びと満足感が、またきょーちゃんをひらがなの勉強へと駆り立てるのだと思われます。

ということで、紙芝居のお話なんてテキトーで大丈夫です。絵を描くところからコメントを付け終わるまで1時間もかかっていません。

ずっと残る作品を完成させようなんて思う必要はありません。というか、自分でつくった紙芝居なんて、すぐに飽きてしまうのが当たり前です。

自分で勝手にハードルを上げないで、とりあえずやってみることが大事です。

それで充分いろんな発見がありますよ♪

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2010年7月30日 (金)

コミュニケーション能力の本質

最近、大学生と話す機会がありました。彼が取り組んでいるという、地域のお年寄りと交流する活動の感想を聞いてみたところ、

「コミュニケーション能力が上がったと思います!」

と答えたのでした。コミュニケーション能力というのは、最近の就職活動界隈でやたらと使われるようになったキーワードです。彼は就職活動の真っ最中でした。

「一緒に働いたら楽しそうだと思った人を採用する」という採用側の当たり前でシンプルすぎる基準を、もっともらしく言い換えるために使われるようになったのが、コミュニケーション能力という言葉です。

私は、コミュニケーション能力にはけっこう自信があります。ちょっと人見知りなところがありますが、そんなことはコミュニケーションの本質を考えると、どうでもいいことです。コミュニケーション能力の本質は、そんなところには無いのです。

コミュニケーション能力の本質は、

「自分を含む社会として、家族、地区、会社、町、県、国、人類と様々なレベルの枠組みが存在する中で、どれくらい大きな枠組みを、どれくらいリアルに自分のこととして考えて行動できるかという力」

のことです。

つまり、コミュニケーション能力を数値化するための計算式があるとしたら、

A(自分のこととして考えられる社会の枠組みのレベルの大きさ) × B(どれくらいリアルに自分のこととして考えて行動できるか)

ということになります。

例えばヤンキーはコミュニケーション能力が高いとされますが、ヤンキーの場合は

A(自分が住んでいる地区という小さなレベル) × B(地区の平和のためなら命がけの役割も進んで引き受けるくらい自分のこととして考える)

ということで、Aの数値はあまり高くないものの、Bの数値がずば抜けて高いので、掛け合わせたコミュニケーション能力はそこそこ高いということになるのです。

Bについては、その社会の向上のために実際に具体的な行動を起こすくらいじゃないと、到底リアルとは言えないわけで、パソコンの前や飲み屋で国家のことを憂えているだけでは、そんなもんは単なる他人事です。

どんなレベルであれ、社会というものは、そこに属している人間が幸せになるために作られています。社会の面倒くさいルールも、みんながそのルールを守った方が、みんなが幸せになるから、守るべきルールとして定められているのです。コミュニケーション能力が高い人は、そのことを至って当たり前のこととして理解しているのです。

例えば、ゴミ捨てのルールを守るのは面倒くさいけれど、そのルールがあるからこそ我が町の美観が保たれているのだから、ゴミ捨てのルールを守るのは当然だと思うのがコミュニケーション能力が高い人なのです。

つまり、「社会も、社会のルールも、自分のために存在している」とナチュラルに思える人=コミュニケーション能力が高い人なのです。

「社会のために頑張る=自分のために頑張る」と天然で思えるのがコミュニケーション能力が高い人なのです。

だから、せめて会社くらいのレベルの枠組みの社会くらいは、普通に自分のこととして考えられる程度のコミュニケーション能力を会社が求めるのは当たり前です。

気をつけなければいけないのは、人間が生きていくために健康が大切であることと同じように、社会が持続可能な成長を続けていくためには、社会のルールが健全であることが大切だということです。

なので、社会のルールに盲目的に従うことは、必ずしもコミュニケーション能力が高いことにはなりません。不健全なルールがあると思ったのならば、自分自身の病気と同じように、どうにかして治そうと具体的な行動を起こすのが、コミュニケーション能力が高い人なのです。

 

それでは、子どものコミュニケーション能力を十分に育てるためには、どうしたらいいのでしょうか。

まずは、親自身のコミュニケーション能力を高めることが重要なのは、言うまでもありません。親がルールを破ってゴミを捨てているようでは、その姿を見ている子どものコミュニケーション能力が高くなるわけがありません。

次に、社会の面倒なルールが自分のためにあることを、子どもにしっかりと理解させる必要があるでしょう。そのためには、その社会のルールが本当に健全なルールなのか、本気で考える作業を子どもと一緒にやって、自分のためのルールなのだと納得した上で、徹底して一緒に守っていくようにするのがいいでしょう。

 

ただ、そんなもんを子どもが普通に理解できるわけがありません。大人でも難しいのですから。

そこで有効なのが、子どもが自分達で社会を運営するイベントです。自分が主人公として社会を運営してみると、社会のルールの有り難さが身に染みて分かるのです。

きょーちゃんやだいくんが大きくなったら体験させてあげたいなと思っていたのが、高知に住んでいた頃に私もお手伝いしていた「とさっ子タウン」というイベントです。小学校高学年が中心になって、自分達が市民となってプロの大人に手伝ってもらいながら街を運営していきます。

私はプロの大人として、子ども達が体験するプログラムの開発から実際の運営までお手伝いして、子ども達が、社会の繁栄が自分の楽しさにつながることを心から実感する様子を見たのでした。

詳しくは、運営委員の智子さんのブログで。

「とさっ子タウン2009」

そして、子どもがまだ小さいうちは、他人との関わりによって遊びが何倍も楽しくなるという当たり前のことを思う存分味わうことができれば、それで充分です。虹色教室の奈緒美さんがブログでおっしゃっている言葉に凝縮されています。

何をするにしても、
人とコミュニケーションを取るから、楽しい!面白い!って
感じられるのだと思います。

人の個性の面白さや、お互いに心と心が響きあうときの
ワクワクする気持ちには、 ゴミ袋をかついだサンタクロースの取り出す卵の空きパックを
豪華なクリスマスプレゼントに見せてしまうような 魔法がかかっています。

「勉強は、人との関わりを通してコミュニケーションを取りながらするから楽しい♪」より引用

 

そういえば、今、大人気の坂本龍馬なんて、

A(日本という巨大な枠組み) × B(自分のこととして文字通り命がけで洗濯)

というわけで、とんでもないコミュニケーション能力ということになります。

コミュニケーション能力が高い人を前にしたとき、人間は本能的に魅力を感じてしまいます。相手の「自分のこととして守るべき枠組み」の中に、自分が入っていることが、様々な言動で分かるからです。

 

ちなみに、社会のこれからの流れとしては、ヤンキーと同じように、あえてAを小さな枠組みにしておいて、Bを徹底的に高めることでコミュニケーション能力を高めるという方向性が当分の間は流行すると思います。

一方でネット右翼の流行のように、Aを国家という巨大な枠組みにしておけば、Bはネット上でくだを巻く程度のことでも、コミュニケーション能力が高まったと思い込むことが出来るという方向性も増えると思います。

ネット右翼の方は何の役にも立ちませんが、ヤンキーの地元を愛する方向性は、捨てたものじゃないというか、ひとつの在り方だと思います。

ただ、世界を覆い尽くす閉塞感を打開するためには、坂本龍馬以上のコミュニケーション能力の持ち主が必要です。そんな人がいるのかなぁ…。

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2010年7月31日 (土)

018数学の天才小山くん

「000東大パパ」から続けて読んだ方が楽しめます)

この世に天才は存在するが、天才もまた人間に過ぎない。

私が大学で学んだ一番大切なことです。それを改めて確認させてくれる本でした。久しぶりに心がふるえる本に出会えました。藤原正彦の「天才の栄光と挫折~数学者列伝」という本です。

ニュートン、関孝和、ガロワ、ハミルトン、コワレフスカヤ、ラマヌジャン、チューリング、ワイル、ワイルズという古今東西の天才数学者9人の人生をたどり、彼らの人生が苦悶と挫折に溢れるものだったことを描き出します。

多くの天才数学者に共通して見られるエピソードが、若い頃に理解者を得られずに苦しみ、良き理解者との出会いを契機に歴史的な発見への階段を昇り始めるというものでした。

私は高校時代の友人、小山くんのことを重ねずにはいられませんでした。彼は数学オリンピックの日本代表合宿に参加するほどの数学的才能の持ち主でした。結局、日本代表にはなれず、この本に描かれているような天才とは比べるべくもありませんが、一般人からすると次元の違う能力でした。関西の大学の数学科に現役で進みました。

彼は決して友人が多い方ではなく、そんな中で私とはとても仲が良かったのでした。当時から好奇心のかたまりだった私は、宇宙のことや時間のことを小山くんと延々と語り合うのがとても楽しかったことを覚えています。彼からオススメされたラヴクラフトは、いまいち私の肌に合いませんでしたが。

彼は肉体的にはひ弱でしたし、人付き合いが得意ではなかったので、しばしばからかいの標的にされていたのですが、いじめに発展するようなことは私が許しませんでした。私は当時から精神的に猛烈なマッチョだったので、それが可能でした。

大学時代は関東と関西に別れて連絡が途絶えてしまったのですが、私が社会人になって最初の勤務地が関西だったのをきっかけに、久しぶりに連絡をとりました。彼は大学院を卒業する年で、さっそく会おうということになりました。

京都のスターバックスで6年ぶりに会った小山くんが語る近況は芳しいものではありませんでした。彼は研究者の道を進みたかったのだけれど、大学院に進学する試験の時点でその道は閉ざされたのだそうです。院試によって合格者の中でAコースとBコースに厳然と分けられて、Aコースの人にしか研究者への道は開かれていないのだそうです。Bコースになってしまった彼は、院試に臨む際の情報収集競争において後れをとってしまったことを悔やんでいました。数学的な才能は基準を満たしていたはずだと思っているようでした。

大学院を卒業した後の進路について聞いてみたところ、とてもじゃないが自分がまともに会社勤めを出来るとも思えないので、とりあえず地元で親の遺産で食いつなぐとのことでした。唯一の家族だったお母さんが高校卒業後しばらくして亡くなって、小山くんは天涯孤独になっていたのでした。

それからしばらくは特に連絡を取り合うこともなかったのですが、私が関西を離れて次の勤務地に行ってすぐの頃に小山くんからメールが届きました。

「部屋を借りるのに保証人になってくれませんか?まともに仕事をしていて保証能力のある友人が君しかいないのです。」

私はずいぶん悩んで断ることにしました。父と曾祖父が保証人で地雷を踏んで大変な目にあった我が家は、「保証人になるべからず」が唯一の家訓なのです。賃貸物件の保証なんて大したリスクではないので、私が独身だったら引き受けていたのですが、家族を背負った身となればそうもいきません。

そのむねをメールで書いて送り、小山くんとの関係はそれっきりです。

 

「天才の栄光と挫折」に描かれた天才数学者達も、小山くんと変わらないようなことで悩んでいました。住む家に困ったりしていました。人付き合いがうまく出来ないことに心を痛めていました。その様子が生き生きと描かれていて、だからこそ、奇跡のような数学の業績を生み出すために、彼らがどれだけ苦悶したのかがよく分かりました。天才が魔法を使って生み出したのではないのです。天才が血を吐くような思いをして、さらに幸運に恵まれて、さらには先人達の積み重ねがあってはじめて、偉大な業績が生まれたのです。

天才も所詮は同じ人間です。彼らにすべてを委ねればうまくいくはずというのは、とんでもない現実逃避なのです。凡人も含めて、みんな自分の頭で一生懸命考えて、自分に出来ることを一生懸命やっていかないと、世の中は良くならないのです。

どこからともなくやってきて全部解決してくれるスーパーヒーローなんてどこにもいないのだと、この本を読んで改めて確信したのでした。

地元の公立小学校で神童扱いされていた私に

「お前は井の中の蛙だ!世の中には凄まじい天才で何でもできる人がいるものだ。」

と親が言うので、圧倒的なスーパーヒーローがどこかにいるはずだと、町有数の進学塾、県有数の進学校、日本有数の大学と昇っていって探してみましたが、そんなスーパーヒーローはやっぱりどこにもいませんでした。きっと世界クラスになったところで、事情は大して変わらないだろうと思っていたのですが、やっぱりそうだとこの本が教えてくれたのでした。

文庫版が出てお手軽になったこともあって、心からオススメしたい本です。

「019なんでも当たるラードちゃん」につづく)

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