最近、大学生と話す機会がありました。彼が取り組んでいるという、地域のお年寄りと交流する活動の感想を聞いてみたところ、
「コミュニケーション能力が上がったと思います!」
と答えたのでした。コミュニケーション能力というのは、最近の就職活動界隈でやたらと使われるようになったキーワードです。彼は就職活動の真っ最中でした。
「一緒に働いたら楽しそうだと思った人を採用する」という採用側の当たり前でシンプルすぎる基準を、もっともらしく言い換えるために使われるようになったのが、コミュニケーション能力という言葉です。
私は、コミュニケーション能力にはけっこう自信があります。ちょっと人見知りなところがありますが、そんなことはコミュニケーションの本質を考えると、どうでもいいことです。コミュニケーション能力の本質は、そんなところには無いのです。
コミュニケーション能力の本質は、
「自分を含む社会として、家族、地区、会社、町、県、国、人類と様々なレベルの枠組みが存在する中で、どれくらい大きな枠組みを、どれくらいリアルに自分のこととして考えて行動できるかという力」
のことです。
つまり、コミュニケーション能力を数値化するための計算式があるとしたら、
A(自分のこととして考えられる社会の枠組みのレベルの大きさ) × B(どれくらいリアルに自分のこととして考えて行動できるか)
ということになります。
例えばヤンキーはコミュニケーション能力が高いとされますが、ヤンキーの場合は
A(自分が住んでいる地区という小さなレベル) × B(地区の平和のためなら命がけの役割も進んで引き受けるくらい自分のこととして考える)
ということで、Aの数値はあまり高くないものの、Bの数値がずば抜けて高いので、掛け合わせたコミュニケーション能力はそこそこ高いということになるのです。
Bについては、その社会の向上のために実際に具体的な行動を起こすくらいじゃないと、到底リアルとは言えないわけで、パソコンの前や飲み屋で国家のことを憂えているだけでは、そんなもんは単なる他人事です。
どんなレベルであれ、社会というものは、そこに属している人間が幸せになるために作られています。社会の面倒くさいルールも、みんながそのルールを守った方が、みんなが幸せになるから、守るべきルールとして定められているのです。コミュニケーション能力が高い人は、そのことを至って当たり前のこととして理解しているのです。
例えば、ゴミ捨てのルールを守るのは面倒くさいけれど、そのルールがあるからこそ我が町の美観が保たれているのだから、ゴミ捨てのルールを守るのは当然だと思うのがコミュニケーション能力が高い人なのです。
つまり、「社会も、社会のルールも、自分のために存在している」とナチュラルに思える人=コミュニケーション能力が高い人なのです。
「社会のために頑張る=自分のために頑張る」と天然で思えるのがコミュニケーション能力が高い人なのです。
だから、せめて会社くらいのレベルの枠組みの社会くらいは、普通に自分のこととして考えられる程度のコミュニケーション能力を会社が求めるのは当たり前です。
気をつけなければいけないのは、人間が生きていくために健康が大切であることと同じように、社会が持続可能な成長を続けていくためには、社会のルールが健全であることが大切だということです。
なので、社会のルールに盲目的に従うことは、必ずしもコミュニケーション能力が高いことにはなりません。不健全なルールがあると思ったのならば、自分自身の病気と同じように、どうにかして治そうと具体的な行動を起こすのが、コミュニケーション能力が高い人なのです。
それでは、子どものコミュニケーション能力を十分に育てるためには、どうしたらいいのでしょうか。
まずは、親自身のコミュニケーション能力を高めることが重要なのは、言うまでもありません。親がルールを破ってゴミを捨てているようでは、その姿を見ている子どものコミュニケーション能力が高くなるわけがありません。
次に、社会の面倒なルールが自分のためにあることを、子どもにしっかりと理解させる必要があるでしょう。そのためには、その社会のルールが本当に健全なルールなのか、本気で考える作業を子どもと一緒にやって、自分のためのルールなのだと納得した上で、徹底して一緒に守っていくようにするのがいいでしょう。
ただ、そんなもんを子どもが普通に理解できるわけがありません。大人でも難しいのですから。
そこで有効なのが、子どもが自分達で社会を運営するイベントです。自分が主人公として社会を運営してみると、社会のルールの有り難さが身に染みて分かるのです。
きょーちゃんやだいくんが大きくなったら体験させてあげたいなと思っていたのが、高知に住んでいた頃に私もお手伝いしていた「とさっ子タウン」というイベントです。小学校高学年が中心になって、自分達が市民となってプロの大人に手伝ってもらいながら街を運営していきます。
私はプロの大人として、子ども達が体験するプログラムの開発から実際の運営までお手伝いして、子ども達が、社会の繁栄が自分の楽しさにつながることを心から実感する様子を見たのでした。
詳しくは、運営委員の智子さんのブログで。
「とさっ子タウン2009」
そして、子どもがまだ小さいうちは、他人との関わりによって遊びが何倍も楽しくなるという当たり前のことを思う存分味わうことができれば、それで充分です。虹色教室の奈緒美さんがブログでおっしゃっている言葉に凝縮されています。
何をするにしても、
人とコミュニケーションを取るから、楽しい!面白い!って
感じられるのだと思います。
人の個性の面白さや、お互いに心と心が響きあうときの
ワクワクする気持ちには、
ゴミ袋をかついだサンタクロースの取り出す卵の空きパックを
豪華なクリスマスプレゼントに見せてしまうような
魔法がかかっています。
「勉強は、人との関わりを通してコミュニケーションを取りながらするから楽しい♪」より引用
そういえば、今、大人気の坂本龍馬なんて、
A(日本という巨大な枠組み) × B(自分のこととして文字通り命がけで洗濯)
というわけで、とんでもないコミュニケーション能力ということになります。
コミュニケーション能力が高い人を前にしたとき、人間は本能的に魅力を感じてしまいます。相手の「自分のこととして守るべき枠組み」の中に、自分が入っていることが、様々な言動で分かるからです。
ちなみに、社会のこれからの流れとしては、ヤンキーと同じように、あえてAを小さな枠組みにしておいて、Bを徹底的に高めることでコミュニケーション能力を高めるという方向性が当分の間は流行すると思います。
一方でネット右翼の流行のように、Aを国家という巨大な枠組みにしておけば、Bはネット上でくだを巻く程度のことでも、コミュニケーション能力が高まったと思い込むことが出来るという方向性も増えると思います。
ネット右翼の方は何の役にも立ちませんが、ヤンキーの地元を愛する方向性は、捨てたものじゃないというか、ひとつの在り方だと思います。
ただ、世界を覆い尽くす閉塞感を打開するためには、坂本龍馬以上のコミュニケーション能力の持ち主が必要です。そんな人がいるのかなぁ…。
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