絆という呪い
「絆」という言葉は「しがらみ」という悪い意味を本来は併せ持っている。
団塊の世代は、そんなしがらみを切り捨ててきた世代だ。
「絆」を「連帯」に置き換えて闘争するのが彼らの青春時代だった。自分の意志と関わりなく絡め取られる「絆」を引きちぎり、自分の信念によって選び取る仲間との「連帯」を結び直したのだ。
しかし、闘争に敗北しつつも生活が豊かになるという不思議な時代の中で、絆はもちろん連帯もどこかへ消えてしまった。
しがらみの最たるものである親の介護を、時代の流れだからと色々と見て見ぬふりをして、ちょうど乗り切ったところというタイミング。
そこで起きた東日本大震災。
巻き起こった「絆」の大合唱。
「連帯」に宗旨替えしたはずの団塊の世代までが「絆」と叫ぶ。
今度は自分達が介護してもらうタイミングだから。
あまりにも虫のいい話だけれど、大丈夫。
絆という一種の呪いは、代々繋がってくるという禍々しい儀式を経るからこそ力を発揮するものだから。
そしてこれから、絆の新しい形の模索が始まるだろう。君が生きる未来は、新しい形の絆でお互いを必死に縛り付けあう過渡期になるだろう。新しい呪いの仕込みの段階だ。
過渡期なればこそ、呪いが悲しい事故を生むことも多いと思う。
だから、すっかりキレイにお化粧された「絆」という言葉の本質は「呪」であると知っておいて欲しい。余計な悲劇に巻き込まれるリスクをぐっと低くしてくれるから。
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東大パパさん、深い!!です。
おっしゃる通りのような気がします。
パパさんのこういう切り口の記事が私は、大好きなんです、私・・・。
投稿: あしやあそぼくらぶ | 2012年1月11日 (水) 20時19分
>>あしやあそぼくらぶさん
反応があるととってもうれしいです。ありがたいです。
「きずな」だけでなく、「こだわる」「がんばる」も、それぞれ否定的な意味も伴っていたものが、いつのまにかひたすら肯定的に使われるようになりましたよね。
「あなたのこだわりのせいで、結局機会を逸してしまった。」
「あの人が一人でがんばっているせいで、村のみんなの足並みが揃わないで困る」
といった否定的な用法の方が、むしろ一般的だったのに。
こうした言葉のニュアンスの変遷は、未来のきょーちゃんやだいくんどころか、自分自身ですら分からなくなってしまうものかもしれません。それをタイムカプセルのように残しておくこともブログの役割かもしれませんね。
投稿: 東大パパ | 2012年1月14日 (土) 07時13分